講師:林 良造 様
• キャノン・グローバル戦略研究所 理事・特別顧問
• 機械振興協会経済研究所長
• 東京大学公共政策大学院客員教授
• 武蔵野大学客員教授前国際総合研究所長
• 元EVF顧問
聴講者数:60名
講演概要
2022年を振り返ると、コロナ騒ぎの間に世界情勢が激変していたことに驚かされる。第一がロシアによるウクライナ侵攻である。国連常任理事国が国境線を超えて侵攻したことは、国連に代表される戦後の安全保障秩序を根本から揺るがした。またこれはヨーロッパのみならず世界のエネルギーバランスをくずし、相互依存を深めていた世界経済を大混乱に陥れた。
次に中国の急激な成長と太平洋への進出は、米国中心に出来上がっていた既存秩序に対する対抗軸を形成するところまできた。これはアジアにおける中華思想秩序の復活への動きのみならず、世界の現状変更を求める勢力を力づけることとなった。
その一つが過剰な防衛的領土拡大本能を持つロシアであり、ジハードによりイスラム教で世界をうめつくそうとするイスラム原理主義であった。このような、世界の安全保障環境や経済秩序に対する現状変更勢力の挑戦は次の10年間の基調を形作ると思われる。
第2次大戦後の安全保障秩序とその安定化の基本的考え方は、キッシンジャーの歴史観に従うとウェストファリア条約を原型とする米欧型の主権国家間の合意による安定であり、戦後米国が提供する国際公共財の上に築かれた「相互依存」の拡大であった。すなわち世界経済のグローバル化により世界は経済的に繁栄し、その繁栄を守ろうとする国家がまた安定をもたらすというものである。しかし「相互依存」を逆手に取ったロシアの行動はその大前提を崩し、その基本的考え方に修正を迫るものとなった。
その背景としてはかつては秩序の後ろ盾として圧倒的な地位を誇っていた米国およびG7の力が相対的に小さくなり、先進国のリーダーシップが大きく損なわたことがあげられる。他方戦後秩序は市場のグローバル化を最大限に利用した中国をはじめとする新興国の急成長をもたらし、米中の2大経済大国体制、G20体制をつくりだし、世界秩序に対する様々な考え方が表面化する基盤を作った。
その上に、中華秩序の復活・イスラム的秩序・ロシア的秩序という新たな秩序を求める動きが重なり、さらには様々な市場経済、様々な民主主義が並立するかの様相を呈するようになってきている。
もう一つの激変は、巨大な人口を持つ中国の経済的・軍事的・外交的急拡大が、経済力では米中の逆転がいわれるところまで進み、中国の「経済成長優先」モデルや「内政不干渉」の外交旗印は多くの開発成長を志向する途上国の共感を集めるところとなったことである。
米中のシステムには各々強み弱みがあり、最近のゼロコロナ政策の転換や経済に対する国家統制に表れる中国の不安定性と、市場を制御しつつ多数の市場参加者の知恵を終結させる米国の経済運営能力の比較からその逆転は簡単でないと思われるが、まだまだ予断は許されない。
このように、中国の台頭によって、米国が中心となってきた世界の秩序が揺らいできているが、基本的には米中双方の指導者にとって経済的繁栄はその権力維持の必須条件であり、その基盤を壊したくはないという「共通」の利害があることから破局的な混乱に陥ることは考えにくい。
世界経済はこの様な米中対立に加えて、エネルギー需給の急激な不安定化、金融引き締めに伴うスタグフレーションの危機が短期的経済運営を難しくし、長期的には国家にも企業にも単に自由貿易のメリットを追求するだけでなくそのリスクに対する備えが求められ成長を減速させることとなる。このような安全保障秩序・経済秩序の揺らぎの中で、インターネットの急速な普及とチャットGPTのようなAIその他のIT技術の急速な展開は巨大な機会と脅威をもたらし不安定性を拡大する要素となる。
世界が相互依存拡大による安定化から総合的抑止力に頼った秩序へと変化する中で、東アジアを含むアジア・太平洋では中国の軍事的・経済的台頭にもろに直面することとなっている。その中で日本にも地域の安定のために責任ある国家として抑止力の涵養が求められている。そこに総合的抑止力を強調する安保3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)の意味がある。
岸田政権はこのような安全保障環境の変化に対応するとともに、経済的にも待ったなしの課題に取り組むことが求められる。アベノミクスによる経済構造改革はglobalizationの中で立ち遅れた日本経済の立て直しに着手し成果もあげつつあったが、果実の均霑の面では全くの未完成に終わっている。また、コーポレートガバナンス改革、資本市場改革(貯蓄と投資のバランス)、労働市場改革(労働力の流動化)、各種規制緩和などで相当の進展はあったものの岩盤的部分は残されている。DX,GX新技術が世界経済の駆動力となりつつある現在、改革を加速することによってInnovationに転嫁できるかの正念場にきている。その上に少子高齢化の克服、財政規律の回復、格差是正問題に対応する必要がある。
一方政治・政策面では、統治の質、政治家の質、官僚の質、 政策の質等々の劣化が目立つようになった。そもそも日本の議院内閣制では政権交代が少なく政党間の国民を聴衆とした公開での政策論争の機会が限られており、政治家の政策立案能力が磨かれる機会が少ない。また安定的与党と官僚機構との濃密な依存関係が形成され、その緊張関係もあやふやになりがちである。さらに実質的な政策立案の情報と能力が圧倒的に官僚機構の中に集中し実質的な政策論争を行えるシンクタンクが育ってこなかった。
このような日本のガバナンスシステムにおけるチェックアンドバランスの弱さと独特ともいえる精緻なコンセンサス文化が、政策決定過程における政官財の既得権益の癒着構造を守り、結果として政策のダイナミズムを失わせてきた。
世界が高速で変化している現在、総合的抑止力の構築、短期長期の経済運営、新たな国際経済秩序の形成などの諸課題に、岸田・植田ラインが対応してゆけるかどうかが問われることとなる。

Q$A:
Q1:アメリカの市場では、情報・意志の上下双方向への伝わり方を見ていると、今でも市場機能は健全に働いているとのお話であったが、中国はそうでない?中国では神の見えざる手は働かない?
A1:アメリカのつよさは、未だ市場の機能が生きていることであり、市場経済の力を汲み取り発展させる力がある。一方、中国にはこれがなく、中国の経済は硬直していると言える。中国の問題点は、習近平と現場の乖離が大きすぎ(中間の抵抗が大きく)、双方の考えが相互に伝わり難いこと。
Q2:インドでのプロジェクトにたずさわっているが、ROE追求と環境問題解決とは矛盾するところがあるように思う。中国とかインドではどうやればうまくいくだろうか?
A2:SDGsのような利益以外の価値をどう扱うかにどういった指標でうまく取り入れられるかによる。今、世界ではこれをどのように扱うのかについて多くの議論が重ねられている。アメリカなどで起こっているこのような展開をどう評価して取り入れるかであろう。
Q3:市場の動かし方の秘訣は?競争原理を使って伸びた企業が勝者になる。アメリカはこれを trial and error で育ててきた。日本の場合は終身雇用制によって市場が硬直した。世界からいい人が集まらない。
A3:確かに日本では若い世代の活躍が未だに難しい。これをどう修正し実効ある制度に出来るかが岸田さんの仕事でもある。
Q4:日本の低迷は事実であり、アベノミクスの失敗ではないか。日本は何に向けて努力を傾注すればいいのか?
A4:賃上げのないまま労働生産性もあがらなかった。勇気がなく新しいことに対する投資決心をしなかった。若い人が乗って来られる市場環境を作ることが課題ではないか。
文責:橋本 升
講演資料:見えてきた世界の新常態